SNSで、第三者を批判したりある人を集団で攻撃する行為で、批判した本人の無意識の領域が汚染されします。
続けていると、やがて失敗を恐れるつまらない人生になっていく。そんな「言葉」と「無意識」に関するお話です。
視点や解釈が違う人の集まりがSNS
インターネットが盛んになり、簡単に世界に情報発信できる世の中になってきました。
元々は、インターネットは論文を観覧するために使われていたと聞いたことがあります。 今では、子供からお年寄りまで、ゴシップから政治はたまた科学まで、さまざまな情報発信源になっていて、それを誰もが観覧できます。
観覧するだけでなく、自らの意見を述べることができるところがすごい進化です。
「ある出来事」を説明する時、説明する人の主観が入ります。だから、1つの出来事を語る時に、Bさんが言う話しと、Cさんが言う事が違うことがあります。
立場によって視点も変わりますよね。
それなのに、最近の傾向としてはネット上で観覧した「ある出来事」もしくは「誰かの発言」について、即座に“否定”したり“批判”したりする人が多い、 ということが気になっています。
ある富豪の脱落、科学者の不正論文、都議会議員の野次、などなど最近も批判が飛び交っておりました...。
他者を批判することはとても難しい技術
本来は、他者を批判するのはすごく難しいことです。
自分が人の批判をする発言をしている時、それを自分の友人知人そしてフォロアーさんや職場の人やお客様も見ているのです。
公の場で他者を批判する人は、
自分自身の人間性や品格を保持したまま批判しなくてはならないのです。
だから難しい。
懐が大きく、包容力があり、機知に富み、叡智に溢れた人。このような人柄を持った方でなくては、他者の批判を文字でするのは難しいのではないでしょうか?
それなのに、とってもお気軽に“正義の味方”になったような気になって、ちょっとした人の失敗や失言をあげつらって批判攻撃する人が、どんどん増えています。
他人の失敗を責めることができるのか?
SNSという公の場で、 私はこれまで、数々の失敗もしてきましたし、失言だって気づかないうちにいっぱいしてきたと思います。
きっと、ほとんどの人に失敗の経験があるのではないかと思います。失敗の体験がない人などいないのでは。
それなのに、気軽に第三者を批判する行為を繰り返していると、やがて自分自身に負の影響が現れます。
「自分のしていること」は潜在意識にちゃんと組み込まれていってしまうからです。
人の「失敗は許せない!」と、批判する行為を続ける。
すると「失敗は悪い事だ」という考えが無意識の中にどんどん根付いていってしまいます。
やがては、自分自身の中に「失敗してはいけない」という考え方が芽生えてきます。
批判されちゃうから。
そうすると、失敗しないように人生を歩むようになります。それはそれは、つまらない人生です。
成功者の成功は、10回のトライのうちのたったの1回だと比喩的に語られることがあります。
何度も失敗して成功がある、ということですね。
ということは、失敗しない人生を歩むようになった人は、成功できないってことですっ!
誰かを批判ばかりしていると、失敗を恐れるつまらない人生になってしまうだけでなく、成功できなくなってしまう。
自分のためにも、お気軽批判は避けた方がよさそうです。それを目にした人にとっても有害ですし。
それよりも、正当な批判も必要なときにはできるような、そんな度量のある懐の深い人間へと成長したい!そう思っています。
頭の中の攻撃や批判もストップ、言葉を大切に
今日は、SNSのことについて書きましたが、これは口語であっても、頭の中で思ってるだけでも、家族に言っただけでも、同じことが起り得るのです。
知ってる人の悪口は良くないと思っていても、芸能人、政治家、著名人などに対しては、つい批判してもいいような気になってしまいがち。
マスメディアが誰かを一斉攻撃することが常となっていますから、一般の人も同じようにしてしまう。
そういう感覚麻痺が蔓延してしまってる。
「失敗を恐れてなぜか思いっきり行動できない」とか、「なぜか前進することを躊躇する」といった傾向を持っているなと思われる方は、このことに関して、ぜひ見直し作業をしてみてください。
たとえ「あぁ、ジブンそれやっちゃってるな〜」ということが認識できたとしても、それは「失敗」じゃないですよ!
「失敗」という言葉はいらないです。削除しちゃいたいぐらい。
「失敗」ではなく、ただの「体験」です。もっと言えば、何かに気づくことができるきっかけになった「体験」です。
やっぱり、「失敗」っていう単語は不要ですね!
言葉は大切にしていきたいです。