人は人と接することで、新しいアイディアが生まれたり、あっそっか!とアハモーメントが生まれることもあります。
先日、ある80代の女性から、恋ばなを聞かされた時もよい刺激を受けました。
ここのところ、昭和バブル期を一緒に過ごした世代の友達と話してるとどうも「もうオトコいらんわ」という流れになりがちだったこともあり、「人は何歳まで恋心を持つのだろう?」と考えていたところでした。
健康でいられるなら美容にいいなら、「恋」があってもいいのかも。逆に、恋が身近にあることで、エネルギー漏れしたり時間の無駄遣いになるなら、無い方がいいよなぁ。
今日はひさびさに「Love道カテゴリー」の記事になります。人間と恋心について、社会とテクノロジーの発展に関連したお話です。
- 熱愛ふたたび炎上@80代
- 若い世代の性愛の能力が落ちた理由
- 情熱・パッションの本当の意味とは
- 情熱という性愛の基礎がないなら
- これからの時代は恋愛フロンティア
- まとめ:情熱やパッションを大切に身体を楽しもう
熱愛ふたたび炎上@80代
まずは、いま熱愛中の80代の女性の近況を聞いて、うぉ〜となったのでシェアさせてください。個人が特定されないよう配慮してということで許可もらいました。
彼女には大昔、大好きだった男性がいた。でも彼は既婚者だから、想いを心に秘めたままでよき隣人として接していたそうです。
そんなこんなでかれこれ半世紀以上たった今年の夏頃のこと。新聞のお悔やみのコーナーで見覚えのある名前が目に飛び込んできた。それは、半世紀以上前に大好きだった男性の、奥様の名前でした。
長年闘病されていた奥様が他界されたことを知った彼女は、居ても立ってもいられなくなり、新聞で知り得たおおよその住所を頼りに、車で彼の自宅を探しに行くという行動に出たのです。
電話番号もちゃんとした住所も知らないはずの、半世紀前の知人が突然家をたずねてきたら驚くでしょうし、誰だかわからないのでは?と思ってしまいました。
しかし、むかし大好きだった男性は、すぐに彼女のことがわかり、すごくすごく喜んでくれたのだそうです。彼女より少し年上の彼は80代半ば。
そして彼女は、「あの当時ほんとうに大好きだった」と、彼に告げることができたのです。奥様がいたから伝えることができずに飲み込んでいた言葉だった。
お二人が20代後半〜30代前半だった頃のことなのに、その情熱を80代まで失わずにいれたってすごい。50年以上の歳月を超えて、好きな相手に告白することができたのですね。
運命的な再会をはたした2人は、すぐに恋に落ちたようです。
彼女の運転で京都に遊びに行ったり(ちなみに6時間ほどかかる)、温泉巡りをしたり、カフェでお話ししたり。とっても楽しそう。
この年代の方のエネルギー量というか活力というか、すごいですよね。そこに「恋」する気持ちが加わったら、気力も体力もさらにパワーアップするのも頷けます。
一方で、若い世代においては、このような恋愛に対する前向きなフォースを失っているようです。どうしてなのでしょうか?
若い世代の性愛の能力が落ちた理由
若い世代の人が恋愛に興味をもたなくなっている現象について、東京都立大学教授で社会学者の宮台真司さんが、とてもわかりやすく説明しておられました。
このような問題を抱えるのは1980年代生まれ以降から。若者とそれ以前の世代との決定的な違いは、子供のころ遊びながら「他者と体で繋がれている感覚」を体験してきたかどうか。
いろんなカテゴリーの職業についた両親を持つ子供達と、男子も女子も混ざって、秘密基地ごっこやゴム跳びやドッジボールなど外でいろんな遊びをしたり、よその家でご飯食べたり、といった体験だ。
このような幼少期の体験から、
カテゴリーを超えて、体で繋がれている感覚、同じ世界に入れているという感覚を経験することで、子供たちの中に性愛や感情の能力が培われていく。
これが、情熱(パッション)の源であり、性愛と感情の能力の礎になっている。
1930〜40年代うまれの彼女は、まさにパッションの礎がしっかりした世代の人だ。
情熱・パッションの本当の意味とは
パッションPassionは「Passive」と同じ語源で「降りかかってくるもの」と言う意味。[駆られる] = [パッシブPassive]ともいえる。
受け身というか「自分では制御できない」という面もある。また「法を超える」という意味もあるそうです(掟や法を超えて突き進む)。
自分の感受性が、そうしたものに全く束縛されないで感覚が働くっていうことが性愛の基本。(宮台氏)
恋愛(性愛)とは、降りかかってくる制御できない愛によって、駆られている状態。
降りかかってきて、制御できないことだから、愛に駆られることは辛いこと。辛いことなんだけど、成就があると思って前に進む。
「そんなのめんどくさーい」と思うか、「この恋を成就させよう」とするのか、どちらになるのかは、「幼少期の体験からつちかわれたパッション」を、どの位もちあわせているか?が鍵ということです。
情熱という性愛の基礎がないなら
生まれた時代に関係なく、「自分の幼少期には、そのような体験ができなかった」という人もいるかと思います。
その場合はどうしたらいいのか?
自分で自分を育て直すしかないです。今、何歳であるかに関わらず、他者と体で繋がれている感覚「同じ世界に入れているな〜」という感覚を、できるだけいっぱい経験していく。
積極的にパッションを発火させるべく、誰かに恋したり、恋愛以外の感情豊かになれることに没頭してみるのもいい。「身体を使って」たのしいことをやろう。
もしかしたら、専門家は「もう遅いよ」と分析するかもしれないけれど、それでも、とにかくやるしかない。
*中年からの恋愛にまつわる記事⇨
これからの時代は恋愛フロンティア
「これからの時代は、恋愛をばしばしすべし!」
筑波大学准教授でありヒューマン.コンピュータ.インタラクションを研究する落合陽一氏が、このように語っておられた。
あと2年足らずで、人間に代わってAIがどんどん活躍し生産していくシンギュラリティーの時代に突入する。だからこそ、「恋愛」やら「身体を使って何かをする」ことが、よりいっそう貴重で大切なことになってくる。
先日、まだ公に広まっていない「AIプログラム」に触れる機会がありました。デジタルネイチャーの時代へ猛スピードで向かっているのだなーと、ひしひしと感じ、こんなツィートをしました。
Z世代の子に「画像生成AIサービス」やらせてもらった。「ブルーの背景で長靴を履いた猫が傘をさしてる」など言葉を入力するだけで数秒後に言った通りの画像が生成される。自分の写真を沢山アップロードしAIに学習させた上で様々なシチュエーションの自分画像を作成することも可能。これすごい
— Kahori Omichi (@kahoriomichi) December 2, 2022
2025年くらいから、AIに何かを作らせたり、AIを学習させ何かをクリエートすることが普通に出来るようになると予測されているようです。
言葉で指示した通りの画像を作るだけでなく、音楽を創ったり、現存の音楽を編曲したり、論文を書いてもらったり、動画を読み込ませその人の主張してることを用いて書籍を作ったり、など、人間が頭でやる大概のことはAIができるようになる。
そうなると、いかに頭を鍛えるかより、「いかに効果的にAIを使いこなせるか」ということの方が重要、ということになります。
デジタルネイチャーの時代へと猛スピードで進化するので、当然、人間はそれについていけない。とうてい把握しきれないし理解も追いつかない。
だから流れの様なものを感じるだけでいい(それしかできない)。
また、そんな時代になるからこそ、身体を使った何かをすることが、貴重になってくる。
「身体」をつかって何かをすること。その最たるものが恋愛や性愛だ。
恋愛の他に身体を使ってやるものといえば、スポーツ、伝統工芸、料理、ハイキング、宮大工、筋トレ、いろいろある。
とにかく、頭でやることはだいたいAIにとられてしまうので、身体を使っておもいっきり恋愛を楽しみましょう、と落合氏談
まとめ:情熱やパッションを大切に身体を楽しもう
すでに中高年の年代に差し掛かっている昭和うまれの人は比較的、恋愛に踏み込むことを恐れない気持ちを持ち合わせている。
でも80年代以降に生まれた若い層では、幼少期の過ごし方が偏っていたために、「人と繋がっている体感(喜び)」を経験していない子供が増えた。
そのせいで、子供時代に育まれるはずの「性愛の能力」や「人とつながる感性」が育たない。パッション(情熱)が低下している。結果、恋愛が苦手な大人になってしまった。
今の日本では、「ま、それはそれでいいんじゃない?」という風潮だ。
しかし予測より早く、あと2年ほどでいよいよ本格的なAIの時代、デジタルネイチャー時代へ突入することになってしまった。
そうすると、何もやること(やれること)がなくなっちゃう。
「やっぱり、恋愛や性愛は大切だよね」、という流れになていく。
これからでも遅くはない。身体をつかって楽しもう。人とつながる感性を触発していこう。パッションを増やそう!
あなたはどう思いますか!?
*恋愛は自分をぜんぶ見せちゃった方が上手くいく⇨
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