ネパールから帰ってきました。
仕事が忙しい上に、かなり強行スケジュールの旅でした。とっても充実した旅でしたので、心から行ってよかったと思います。
ネパールでは、意識が大きく広がる体験をすることができました。スコトマがたくさん外れた感じですね。
今まで見えてなかった 事柄が見えてきて視野が広がった喜びを感じています。とはいえ、それがどういうことなのか言葉ではうまく説明できません。
今回は、ネパールの首都カトマンズに2泊しました。
旅する美容師Yoshiさんによれば 、カトマンズ以外の土地では私達が想像しているような牧歌的なネパールの情景を見ることができるのだそうです。
昔ながらの生活を大切にした人々の暮らしがあり、緑豊かなゆったりした所だそうです。
私が訪れたのは首都でしたので、緑豊かな自然を見る事はできなかった けれど、ネパールの国の色とか匂いを感じ取ることができました。
優勢色がほとんどなくカラフルなプリズムの光りの色って感じです。 非常に気持がよい気場です。
建物はボロボロだし、道路は舗装されておらず信号機もありません。
道では砂埃が舞い、ゴミがあちらこちらに散らばっています。
けれど「貧しい」という言葉が当てはまらないのです。タイとかフィリピンなどと違って、人々は自分たちが貧しいと思いながら悲観して生きている感じがあまりしませんでした。(あくまでも私の主観的なものですが)
だから、街を歩いていても怖さがまったく感じられません。
きっと日本や他国と同じようにスリやひったくりは存在するのでしょう。
でも、金が欲しいとか奪ってやろうとかいう気迫みたいなものが 伝わってこないので、ぜんぜん怖くないのです。
私は20年くらい前に生まれて初めてタイに行った時、滞在した 3日間ずっとショックでご飯が食べられませんでした。小さな子供 が学校に行かずお金お金と迫ってくることや、お金のために 性転換する青少年、人々の苦しみが感じられたからです。(元々、裏舞台を見学する研修で行ったからそういう事により いっそう目がいってしまったのだとおもいます)
ネパールは見た目がもっと質素な国ですが、タイで体験したような 感覚には陥らなかったし、たいへん気持よく過ごしました。
綺麗なマンダラの織物を見かけたので、買って帰りたかったのだけど、今回は式典に出席することが目的だったのでまったくお買い物をする時間がなく、何も買うことができませんでした。
大きな大きな牛が、道のど真ん中でくつろいでいました。
噂には聞いていたけれど、本当だったんですね!カワイイ瞳をしていました。
道行く人々は、まったく気にも留めていませんでした。こんな↓大通りですよ。
何かをムシャムシャ食べながら、ゆったりしていました。
牛だけでなく、繋がれている犬もいません。 犬達も、人々が行き交う道端で横になり熟睡しているのです。
野生のサルも街に住んでいました。寺院や店や公園に普通に居ます。 誰も犬にもサルにも牛にも気に留めることもなく、彼らの存在を尊重するかのように、上手によけながら歩いていました。
ネパールは、ブッダの生誕地です。
「生きとし生けるものを大切に想う」 「命あるものはみな平等」 という釈迦の教えを、日常的に体現しているのでしょうか。
だから、高そうなカメラをぶら下げ、お金をたくさん使い買い物をする日本人を見ても、特に感情が動くこともなく、より物質を持っている奴らから何かを奪い取ってやろうなどという発想は、おもい浮かばない、という事なのでしょうか。
自分の上にも、自分の下にも、なにもない。
命あるものはみな平等
そのような価値観は平安な心の源です。人々の心に平安があるという意味ではすばらしい国です。