先週はイタリア人の仲間Pさんと仕事をしていました。
夕食のとき、「人を助ける」ということについて話題になり、彼はこんな話をしてくれました。
Pさんは15歳のとき、孤児院でボランティアをしていたそうです。そこの院の子供達と遊ぶのが少年の役割です。
ある日、黒塗りの高級車が3台連なって、孤児院の前に停まりました。
真ん中の車のドアが開くと、中から修道女が出てきました。
マザーテレサです。
マザーテレサはP少年のところに歩み寄ってきて、彼について様々な質問をしてきたそうです。
そして最後に、「いい子ね、これあげる」と言って、マリア像がついた銀のペンダントトップのようなものを手渡したそうです。
Pさんは、今でもその銀のマリアを持っているそうです。
マザーテレサは、P少年に何をしたのでしょうか!?
少年の優しさ思いやり、思ったことを行動に移す勇気、慈悲の心、ボランティア精神、など、少年の行いをねぎらったのだ、と思いました。
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子供達の行いを労ってあげよう
私たち大人は、このマザーテレサがしたように、青年や子供達が勇気を出して「人を助ける」行いをした時に、ねぎらいの言葉をかけてあげるべきではないか、と常々思っていました。
私はまだ50代で、自分的には体力も気力も充分あると自負しています。
でも、小学1年生2年生ぐらいの子供達にとっては、お婆ちゃんのカテゴリーに振り分けられてしまうのです。
バスの中で立っていると、ランドセルを背負った小さな子供がパッと席から立ち上がり、「どうぞ!」と言われることがあります。
はじめはビックリしたし、「え!?私って席を譲られるお年頃?」と、ちょっとショックでした。
でも、そんなことがあると、わざとお婆さんを演じるようにしています。
「ハァ〜〜、ありがとうね。どっこいしょ」
という感じに、お婆さんらしく振舞います。
すると、小さな子供たちはちょっと誇らしげな表情をするんです。
この表情を見るのが、とっても好き。すごくかわいらしいのです。
でも、きっと大人だって、人を助けたとき、そんな感情を抱くのではないかなと思います。
その理由は、人はその瞬間「幸福感」を感じるものだからです。
人間は、「人を助けたとき」と「人から助けられたとき」に、もっとも幸福を感じる。
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はじめての視覚障害者介助で怒られまくる
Pさんからマザーテレサの逸話を聞きいていたら、先月体験したことが思い出されました。
スーパーの出入り口のところで白い杖を持った、目の見えない老男を見かけました。
そのスーパーの出入り口は非常にいりくんでいて複雑な上に、くねくね曲がっており、しかも障害物が多いのです。
お爺さんは見当違いなところへ向かって歩いていました。危ないので、「駅まで行かれるのですか?よかったらご案内しましょうか?」と声をかけました。
すると、「あぁ、バス停まで行くんだ」とおっしゃいましたので、一緒にバス停まで歩いていくことにしました。
ところが、私が視覚障害の方の介助をするのが全く初体験だったため、うまくいきませんでした。
私「もう少し左に向いて歩いてください」
男「え?そんなわけないでしょ」(信じてくれない)
私「あ、そっちは柵があるから...」(ちょっと袖を引っ張る)
男「あのねぇ、不快だから引っ張るのやめてよ(怒)」
私「すみません」
男「左肩かして」
私「この先、緩やかな坂になってます」
男「え?坂?そんなのないだろ」
私「あ、坂というかゆるやかなスロープです」
私「ほんの少し段差があります」
男「これくらい大丈夫だからいちいち言わなくていい」
男「あのさぁ、もっと早く歩いてくんない」
私「はい、すみません」
男「47分のバスに乗りたいんだよ」
私「今32分なのでまだ時間あります」
男「早めに並んで47分のバスでいい席取るんだよ」
私「こちらが次のバスの列です」
男「ここじゃない、先頭に並ぶ」
私「他の人がすでに並んでいるので」
男「先頭じゃないとダメだ(怒)」
(しかたなく周囲の人々に謝って先頭に連れて行った)
短い距離でしたが、怒られっぱなしでした。
最後は、バスの列の先頭に並んでいた女性に託してきましたので、特にお礼などは言われていません。
ただただ、ダメ出しの連続。きっとこの人は若い頃、スティーブ・ジョブズみたいな敏腕社長さんだったに違いない...とか思いながら歩いていました。
と同時に、子供達がもしもこのお爺さんの介助をしたら...と想像してしまいました。
こんな風に怒られまくったりダメ出しばかりでお礼も言わず立ち去られたら、せっかく勇気を出して助けを申し出た子供達はどう感じるだろうか、と。
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人が大きな喜びを得られること
誰もが「助ける人」になったり、逆に「助けられる人」になったりします。
そうやって、人間社会がまわっています。
助けたり助けられたりすると、心が温かくなって幸せな気持ちになります。
だから、誰かが助けてくれようとしたら「助けられる人」にきっちりなりきりたいです。
人が大きな喜びを得られる要因はこの2つ「助けるとき」「助けてもらうとき」だからです。
助けを申し出てくれた人に、幸せを与えるチャンスなのです!
どんな助けができるか見極める方法
イタリア人のPさんは現在、 自分の得意なことで、人のためになれることを職業にしていて充実した日々を送っています。
どんなことで他者を助けることができるか?は、究極の自分への問いかけになりますね。
それが見つかるまでは、ひたすら自分の望みを明らかにしたり、自分の欲求の実現化をどんどんしていくことが大事だと思っています。
自分を満たしてあげていると、自ずと「何をしてあげたら人の助けになるのか」が見えやすくなってくるのです。
そして、自分ができることがはっきりしてくると、助けてくれようとしてる人が現れたら、きっちり「助けられる人」を演じられるようになるのです。
あなたは、どう思いますか!?
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