私たちは知らないうちに、自分自身や周りの人の感性を壊してしまいかねない行為をしてしまうことがあります。
今日の記事では感性を壊さないためのヒントにまつわる1例をご紹介しますね。
先日、インド料理店で遭遇したできごとです。
すぐ近くにお母さんと小学1年生くらいのお兄ちゃんと、まだちっちゃい2〜3歳くらいの妹の3人家族がランチを食べていました。
インド人ウエーターさんが、お兄ちゃんに話しかけました。
👳🏽♂️インド人ウエイター:「オイシィデスカァ〜?」
👨お兄ちゃん:「うん!」
その次にそのウエーターさんは妹の方に話しかけました。
👳🏽♂️インド人ウエイター:「オイシィデスカァ〜?」
👧🏻ちっちゃい妹:「うるちゃーいっ!」
もー、お母さん真っ青でした。
子供って素直でいいですね!
その女の子、サラダのドレッシングでさえも辛くて、顔を歪めながら我慢して飲み込み、ナンばかり食べていました。
がんばって食べていたんでしょうね。
私は、「うるちゃーいっ!」と答えた小さな女の子の気持がよくわかります。
レストランとか、誰かに作ってもらったものを食べている最中に、「美味しいですか?」とか、「いかがですか?」って、聞かれるのは、本当に困ります。
聞かないで欲しいと思っちゃいます。
みなさんはどうですか?
だって、そう聞かれたら 「美味しいです」 という答え以外に、答えられないじゃないですか!?
答えを半ば強要されているようなものです。
もしもレストランでマズイ食べ物が出てきたら!?
私がレストランに行ったとき、もしも出てきた料理が美味しくなかったら、何かしら良いところを探して、そこに集中するようにしています。
例えば、ソースがマズかったら野菜そのものの味に集中したり、パスタがふにゃふにゃでどうしようもない状態なら、オリーブオイルの香りの良さに集中したりします。
かろうじて「美味しい部分」を探して、そこに注意を向ける感じ。
それでもどこも良い所がなかったら、味に集中しないようにして、感じの良いウエートレスさんの笑顔がいいよね〜とか、素敵な食器を使って盛ってくれているのね、と思ってみたりします。
そうすることで「まずいなぁー」という想いをできるだけ消し去り、感謝の気持で食べるようにするのです。
「まずいなぁー」と思いながら食べるのは、健康によくありませんからね。
ただ、本能的にマズイと感じた物は、本来は食べない方がよい食品です。生体の防御反応であり、本能的に危険なものをマズイというサインにより察知している可能性もありで。
しかし、誰かと一緒に楽しい時間を過ごしている大切なひと時であることがほとんどですから、とりあえず「食べる」と決めたら、マズイ食べ物の場合はその様に対処しています。
そうやって、なんとかかろうじて『良い部分』を探してそこにフォーカスをあてて、感謝の気持で食べている(いわば瞑想中?)というのに、そんなとき「美味しいですか?」とか「味はどうですか?」と聞かれたら、まっさきに頭に「マズいよぉ」って本心の答えが浮かんできちゃうじゃないですか!?
せっかくの瞑想(!?)が台無しになってしまうんです。
なので(-◎_◎-) にも、食事中に絶対に「どう?美味しい?」と聞くのは禁止にしてもらっています。
「美味しい!」って思ったら、率先して自分から言うのだし、言わないときは聞かないでってお願いしてあります。
でも、ときどき聞かれちゃいますよ。
そんな時は、今日遭遇したちっちゃい女の子みたいに「うるちゃーいっ!」って、言いたい気持になってしまいます。
でも、実際はとりあえず大人なので「うるちゃーいっ!」とか言えないじゃないですか。
だから、「うん」と答えてしまうんです。
本当は美味しくないのに、聞かれたから「美味しい」と答えるのは、あまりしたくことなんです。
感性が崩れてしまうようで......( ̄。 ̄;)
そんな事を、インド料理店にいた親子を見ていて考えていました。
ちなみに、お母さんに「そんなこと言っちゃいけないよ」って注意されたみたいで、あとからまたインド人のウエーターさんが回ってきた時に、何も聞かれてないのにお兄ちゃんが「すっごく美味しいよぉ!」って声をかけていました。
ちっちゃい妹も「おいちぃよ」って言ってあげてました。
ナイスフォロー!(^_^)おりこうさんですねっ!
でも... ワタシなら、その子の感性がこわされてゆく原因になってしまうのでウソを言わせたりはしません。
なぜなら、そのように教育されて育った大人たちを診ているからです。
感性を壊さないためにどうすればいいのか
「レストランでは“美味しいです”と言うべき」と教え込まれ幼少期からそう教育されていたら、たとえ自分の感覚では「美味しくないなぁ」と感じたとしても、店の人には「美味しいです」と答えることが習慣と化していきます。
このように自分が感じた感覚を否定するような行為を重ねることで、「自分の感覚がわからない人」が出来あがります。
自分の感覚がわからないと、
・好きなこと
・不快で嫌なこと
・直感で選ぶ
・避けるべきこと
このような感覚的なものが鈍って、自分が感じたことが全くわからなくなってしまいます。
そしてやがて、自分の感覚が信じられなくなってしまうのです。
人間、自分の感覚を信じられなかったらどうするでしょうか!?
そうです、他人になんでも聞いて、他人の意見や考えに迎合することをします。
人生の選択を迫られている時でさえ、「他人の意見」とか「常識と言われてること」に従ってすべての決断をくだす大人になるのです。
そして、こう言いだすのです→「自分の好きなことが何かわからない」と。
いくら最高の地位を得たとしても、いくら億万長者になったとしても、いくら有名人になったとしても、「好きなことがわからない」ならば、最高の幸せ気分が味わえない可能性が高いです。
自分の大好きなことを知っていてそれをしながら、それとともに生きていくことの幸福感は何ものにも変え難いものがあります。
五感は磨けばまた戻ってくるはず。
そうすれば “ひらめき” も得やすくなるでしょう。
常識に合わせた生き方から外れる勇気を持ちましょう!
自分の感覚を大切に守りましょう!
それと同時に、自分以外の人に対しても、その人が感じた感覚を否定するようなことは避けたいですね。
そのような行為は、魂の殺人者になりかねません。その人が「どう感じるか」は、その人の本質であり生き方を決めるものなのですから。
自分の感性を磨いて、感覚を味方につけましょう♪
他者の感性も大切に、受け入れましょう♪
コメント欄より:
h3813さんより:
娘が小さかった頃、海岸通りのニューグランド・ホテル(横浜市中区)の上階で、よくカレーライスを楽しんだものでした。よく、創業者の野村翁が優しい笑顔で軽く会釈なさりながらがゆっくりと各テーブルの間を、つかず離れずの距離をとりつつ、回られておられました。
微塵も押しつけがましさを感じさせない控え目で穏やかな翁の会釈と微笑は、このホテルの提供する全てのサービスに「極くさりげなく」溶け込んでいた事を、今も懐かしく思い出します。
客に「美味しいですか?」と言うのは、美味しいですよと応えて欲しい「おねだり」に聞こえてしまいます。レストラン側は単にお愛想を振りまいているつもりで言うのでしょうけれど、せめて「如何ですか?お口に合いましたでしょうか?」くらいに抑えたらどうかなあと思います。
私の個人的好みは、「ほっといて欲しい」ですね~。お料理を含めて、その時間全体をゆっくりと楽しむことに「埋没したい派」です。
返信:
h3813さん、こんにちは。素敵なお話をシェアーしていただき、ありがとうございます!ニューグランド・ホテルの野村翁さんの控え目で穏やかご対応、素敵ですね。ぜひ見習いたいです。
h3813さんの「ほっといて欲しい」というお気持ち、よくわかります。「美味しいですか?」と聞かれるのもとんでもないと思いますが、ヒドいお店になると、こちらがおしゃべりしているのに割り込んできて、気を引こうとする人もいますね。顔を見させらて話しを聞かされる。(特にファミレスとか)マニュアル通りにやっているのかもしれないですが、好きじゃないです。
h3813さんのおっしゃる様に、お食事中はその時の全部を包括してゆったり楽しみたいですよね!