近頃は、書籍を買う時にはAmazonなど、ネットで購入する事が多くなった。
パソコン用のソフトウェアについての説明が書かれた専門書などを、直接中身を見ずにネットで買うときは、必ずAmazonの各書籍についている「カスタマーレビュー」という読者による本の批評欄を参考にしてから買うようにしています。
専門書のレビューは専門的なことに使う人が読んでいるだけに、本中のどいう点が良いか悪いかが明白に書かれており、かなり参考になります。
専門書のレビューは、悪いことを書くにしても筋が通っていて感情的ではない所が信憑性があっていいですね。
ただ、レビューがまったく参考にならない種類の本もあります。
それは、『いまが旬の売れっ子作家』(オピニオンリーダーのような人)の書籍についてのレビューです。
「いまが旬の売れっ子作家」の本には、わんさかレビューが書かれている。でも「この人は作者に対して何かの恨みがあるのではないか?」もしくは「この人は立ち読みだけでちゃんと中身を読んでないんじゃないか?」と思わせるような、めちゃくちゃな批判悪口が書いてあることも多い。
それに混ざって、ファンの人や本当の意味で本の内容を理解できているであろう人の書き込みがあって絶賛していたりする。
ほとんど売れていない人の本には、そもそもレビューがない。
不思議なことに、外国人作家さんの本のレビューは、日本人の今が旬の売れっ子作家に対するような、猛烈な攻撃的批判がみられない(多少はあるけれど)。
外国人作家の本のレビューは好意的な内容が多いように見受けます(2009年現在)。
売れてない人はどーでもいいけど、目立ってる人は蹴落としたい、でも外人は別。みたいな...そのような傾向なのでしょうか。
「カスタマーレビュー」をこんな風に眺めていると面白いですよね。まるで日本社会の縮図のようです!?
先日、Twitter(ツィッター)を始めたので、使い方が知りたくて勝間勝代さんの著書『目立つ力』を買ったのですが、そのときにもレビュー欄に特徴を感じました。
勝間さんは売れっ子作家さんですからね。
正当な意見を述べているレビューに混ざって「いつもと同じ内容」とか「誰でも知ってる事が書かれてる」とか、あげくのはてには本に関係ない批判などが散見されました。
でも、私は読んでみて役にたったし、それ以上の情報も得ることができました。もちろん知ってる事も書かれているけど、その行間に新たな見識や著者の心などいろいろ受け取る事もできました。
先日、友達が「本を読むときは何が知りたいか?という目標を持って読むと、後々まで覚えていられるし情報を拾うことができるのよ」と教えてくれました。本当にそう思います。
もしもその本を読む「目標」を持たなかったらどうなるか?
人間は「過去の記憶と入ってきた新たな情報を照らし合わせて照合し、それを取り入れるか否かを決定する」という脳機能を持ち合わせています。
だから、知ってる単語が続けて出てきたりすると、新しい考え方であったとしても「あ、知ってる知ってる」と脳が認識してしまって、その情報を脳に入れるのを拒否してしまうのです。
その結果、せっかく読んだ本から何も新しい情報を得ることができなくなってしまいます。(本だけじゃないですけどね)
なので「この人ほんとに本を読んでレビュー書いてるの?」と思うような批判をしている人の読み方は、目標がなく、ただ単に売れ筋の書籍を手に取っただけだったのかもしれない?とも思えました。
それから、勝間さんの本の中にも書いてありましたが、批判を公の場でしたい人は「自己承認欲求を満たすため」にしているケースが多いとのこと。
ようするに「見て見て見て、私を見て!」と、自分の存在を認めて欲しいという欲求を満たすために、他者を批判するという心理です。
たしかに、自分が満たされている人って他人の批判はしないですね。
そして勝間さんは「このような歪んだ自己承認欲求が外部に噴出しないようにするためには、別の手段で昇華する必要がある」と考えておられるそうです。
その為に「ブログその他で自分を表現する事も一つの手段だよ!」とも、書籍の中で推奨されていました。
あ、そうだそうだ。この本の中で大切なメッセージを見つけたんだった。
「1回のブログの記事は長すぎては駄目ですよ」ということ。
まずいまずい、なんだかすぐ長くなっちゃうんですよね。それでもお読みくださったみなさま、ありがとうございます。