大道ブログ

気持ちいい心でいたい私のWell-Being日誌

共感覚的に音楽を楽しんでみる

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先日おこなわれた長谷川浄潤氏と依田拓氏によるピアノ&ラップトップの即興演奏の報告です。

当日までは、”体感をともなう癒しのピアノミュージック”はとても楽しみだったのですが、どちらかというと、キーボードのような機械音があまり好みではないので、ラップトップ音楽との競演ときいて「耐えられるかな?」とちょっと心配でした。

ところが!これがイマ風に言うと「スゴクネ!?」って感じで、「共感覚にスゴかった!」というコメントが、一番しっくりくる体験でした。

まるで印象派の絵画を鑑賞しているみたいだったのです。

聴いていると美しい色や模様やパターンが次々とあらわれます。しっかりと感覚器官にとどく“迫りくるもの”があるのだけど、それでいて侵略的じゃないんですよね。

大音響なのにもかかわらず「おらおらおら、これ聞けや」って感じはまったくなくて、美術館に行って自分の好きな絵画の前で眺めているように、表現を自然に鑑賞させていただいた、という感じでした。

しかも、癒しのピアノと絶妙にマッチした、打ち合わせ無しの即興演奏なのです。

すごい!すごい! 実際にはラップトップPCだけじゃなくて、ミキサーみたいなものとアフリカの大きな太鼓とお椀みたいなマイクとが一緒になって音としてあらわれてきます。依田拓氏のオリジナルの音の創り方です。

即興演奏は、その場のエネルギーを感じたその感覚に従って、その場で創られたミュージックです。だからこそ、侵略的な感じが一切しないし、共感覚的に心地よく感じられるのかもしれません。

共感覚』とは、1つの物事や刺激に対して、通常の感覚だけでなく、五感すべてに対する感覚をイメージする特殊な知覚現象のことです。(五感だけではなく、感情や単語や数などに関して起こることもある)

神経学者のリチャード・E・シトーウィック博士は、「一つの感覚の刺激によって別の知覚が不随意的に引き起こされる」ことを共感覚である、と定義しています。

わざと空想しているのではなくて、意識することなく不随意的におこる現象なのです。 共感覚を持つ人は文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりなど、主観的な知覚現象として生々しく感じているものです。

ドレミのドは赤!とかあの女性は黄色い声!とか、そういった抽象的なものではありません。一人一人、共感覚者が受け取る感覚情報は違うそうです。

Aを青と感じる人がいたり、Aを緑と感じるひともいます。 シトーウィック博士は『共感覚者の感じているイメージは空間的な広がりをもっていて、自分の位置している場所がはっきりと分かっている』としています。

共感覚は、けっして妄想のイメージの中を漂っているわけではなくて、はっきりした感覚器官による知覚なのです。

Wellness通信の過去の記事で「共感覚は神経の病気」だとと見なされているという意味合いの医学的な文献がありました。

色盲や絶対音感などと同様に、共感覚は感覚受容器が受け取った情報を、本来と違った知覚として認識する症状だから」というのが理由です。

赤ちゃんの時は、さまざまな感覚(視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚)がまだ未分化なのだそうです。赤ちゃんは、みんな共感覚者なのですね。成長するごとに、感覚が発達してきて脳の結合が変化していくので、普通はこういった共感覚は失われていくそうです。

ですので、成人しても共感覚を保持したままの人は何らかの脳の中の結合が赤ちゃんのときのままになっているため、知覚もそのまま保たれているのではないか?という説もあるそうです。

ただ、医学的な実験のやり方も、通常の方法ではうまくいきません。

共感覚者の人達は、文字の色や単語の味が「わかる」のであり、実際に視覚器や味覚器で感じているわけではないからです。

そんな訳で「共感覚は障害である」と考える説もある様ですが、実際には「精神障害診断便覧(DSM)」や「国際疾病分類(ICD)」には掲載されていないですし、当然のことながら、精神病ではありません。

それは、共感覚が日常生活を送る上で問題を引き起こすことがないからです。

共感覚を快感だとし楽しんでいる人の方がほとんどを占めている中、辛く感じてしまう人も存在するそうです。(400分の1の割合)

ただ、それらの人も四六時中辛いのではなく、普段は共感覚を楽しんでいても、ある不快な刺激に遭遇した時には、普通の人より辛さ度が高いということであって、共感覚を無くしたいと主張する人はあまりいないようです。

スティービー・ワンダー、レオナルド・ダ・ヴィンチ、宮沢賢治、マイルス・デイビス、ジョージア・オキーフ など、共感覚を持っていると言われている芸術家や作家が存在します。

子供の頃は、皆も自分と同じ感覚を持っていると思うのが普通でしょう。

なので、自分が共感覚で受け取った知覚を言葉にすると、一般の人からは「へんな奴」と思われてしまいますよね。

一般人の中にもちろん存在していますが、研究がはじまってまだ間もないため「自分は共感覚者である」と申し出る人の数が把握できず、いまのところは10万人に1人とか、200人に1人とか、さまざまな説があり、まだ仮説的な分野です。

シトーウィック博士による医学的な仮説では、『脳の一部がほかとのつながりをはずれ、それが原因で辺縁系の正常な処理過程が開放されて、そのまま意識にむきだしになり、共感覚として体験される』とのこと。

共感覚は正常な脳機能だけれど、その働き方が意識にのぼる人の数がほんの一握りしかいない、ということです。

さてさて、この『共感覚』は基本的には「生まれつき持っている」ことを指していますが、最近では日本の脳機能学者の方が「後天的にもあるていど訓練して会得することが可能」という事で、訓練を推奨されています。

私の師匠は、人の声を『色』と『形』で覚えているのだそうです。

「B子さんの声は黄緑で▽でちょっと甘いよね〜」とか。

私やエコボディーネイチャーのスタッフ達は、共感覚を磨く訓練をしていて、日常生活に色どりを増すことを目指しています。

その他にも共感覚を身につけたい理由はいろいろあります。また日をあらためてご紹介しますね。

そんなわけで、とっても長くなってしまいましたが、先日の即興演奏のライブでは、私たちは聴覚的にも視覚的にもその他の感覚的にもとっても楽しませていただいたのでしたっ。オワリッ。


※参考文献『共感覚者の驚くべき日常』リチャード・E. シトーウィック著 共感覚者の驚くべき日常—形を味わう人、色を聴く人 共感覚者の驚くべき日常—形を味わう人、色を聴く人