大道ブログ

気持ちいい心でいたい私のWell-Being日誌

キミは人生を舐めているのか、とIQ高め生徒会長から言われた話  


人の機能について、言葉と身体について、マインドと環境について、興味が尽きることのない私が、未だに気になっている中学時代に言われたことについて、ふと思い出したので認めてみます。

ちょっとパーソナルなお話です。

どう生きるのか?を考えるきっかけになった出来事でした。

 

生徒会長から言われた衝撃的なこと

 

中学生の時に、隣の席だった生徒会長のB君から、いきなりこう言われました。


「キミは人生を舐めているのか」

 

B君とは共通の話題は皆無でしたが、用事があれば普通に話していたし、いじめられた記憶はありません。なぜだか急にそう言われたのです。

その時に、何も返す言葉がなかったことを覚えています。「人生を舐めている」って、どういうことだろう!?と考えていたら、休み時間が終わってしまったから。

実は、いまだに自分が「人生を舐めている」のかどうか?がわかりません。考えていくうちに、そうとも言えるし、そうではないとも言える、という答えに行き着いてしまうからです。

人生を舐めている雰囲気だった私

 

父親から、「かほりが中高生だった頃って、CMでヒュ〜ヒュ〜って言ってる子みたいな感じだったよね」と、かなり大人になってから言われたことがあります。(桃の天然水のCMのこと)

父から見たその頃の私は、ワ〜イ♪ワ〜イ♪っていう雰囲気だったそうです。このCMをやっていた頃は、私は海外で親と離れて暮らしていたので、桃の天然水のCMが流れるたびに、少女時代の私を思い出していたみたい。

この若かりし頃の華原朋美さんのCMを見てみると、子供の頃こんな雰囲気だったのなら、私が「人生を舐めている」ように見えちゃってたのも、仕方ないよなぁ〜と思います。

生徒会長のB君は、努力のかけらも見うけられないお気楽少女を呆れて見ていたのかもしれません。

今も昔も、私は人から何かを強要されるのが苦手です。放っておいてくれたら思いっきり集中し努力することができるのだけどその反面、コントロール下にあると自分の力をちゃんと発揮することができなくなってしまうタイプ。

「やりたくないこと」は、出来ない。「やりたいこと」しかやらない。義務教育における集団生活には合わない性格だったのは確かです。

そんなワガママ体質だったからこそ、生徒会長から「人生をなめてるのか」と言われても、否定できないし反論すら思いつかなかったのです。

 

大人な雰囲気なIQ高め生徒会長

 

一方で、B君は頭がよくて成績もいいし、しっかりした性格だからこそ生徒会長を担っていたのだと思う。苦手科目は無い。言語能力が高く弁が立つ人なのでかなりな高IQではないかと。

そんなB君にとって私は異星人のような別種族のようなものでした。

県でもっとも偏差値が高い高校へ進学した後、一流大学に進学したところまでは風の噂で聞いていました。親御さんも教育熱心で、絵に描いたようなエリートです。

時は流れ...

皆んなが30代になった頃、同窓会がありました。そこで聞いたB君に関する近況が、あまりにも衝撃的で、なぜか私自身ショックを受けたほどでした。

主婦をしていた友人が小さな子供を公園に連れて行くと、必ずB君がベンチに座っているというのです。真っ昼間です。作業服のようなものを着用していて項垂れていると。

ある日、思い切ってベンチに座っているB君に話しかけてみたら、仕事で大きな失敗をしたことがきっかけで、精神を病んでしまったと、話してくれたそうです。

退職した後は何もできず、回復の兆しもなく、毎日公園で時間が過ぎるのを待っていると。

この話を聞いたとき、なぜか私はすごくすごく悔しい気持ちになりました。自分のことのように悔しいし悲しくなりました。

お互いに異星人のような存在だからこそ、お互いに自分らしく生きていけたらいいよね、と思っていたからです。全然タイプは違えど「元気でやってるよ」って、挨拶したかった。

IQの高さが生きづらさに繋がる


B君は、その後ぜったいにV字回復しているはず!そう信じています。なぜなら、新人時代に上手くいかないこと、人との関わりにおいて困難にぶつかることは、高IQの人の特徴の一つだから。


日本では特に、高IQの人にに対する理解がほとんどない。それどころか、大多数の凡人に合わせた方向へと向かおうとする傾向にあり、突飛なアイディアや見解は排除されがちです。

日本の組織の中で、高IQの人は新人時代に能力を十分に発揮させられないだけでなく、のけものにされたりして孤独感や疎外感に苛まれる。

中堅どころになってリーダーを任される頃になれば、おおいに能力を発揮できることもあるだろうけれど、新人の頃は辛いに違いない。自分より30も40もIQの低い上司から指示されたり、一緒にプロジェクトを進行させるのって、どんな気持ちなんだろう。

そんなことを考えていた時にこんな本に出会いました。『高知能者のコミュニケーショントラブル: IQが20違うと会話が通じない

著者によると、高知能者は思考も表現も普通の人とはちがうため、孤立していじめられることがある、馬鹿だと決めつけられて集団リンチされることもある、とのこと。

高IQの人達には、普通の人が「お猿さんに見える」という例え。そしてお猿さんには相手の頭の良さが見抜けないと。だから意味不明なことを言うヤツとレッテルを貼り、虐めるのです。

まさに、中学時代の私はB君から見たらお猿さんに見えてたんだろうな〜。そして、私にとってもB君が抱える生きずらさなど、見抜くすべもなかったのは言うまでもありません。

 

自分の境界線を保てる環境があれば


また先日は、東京大学の教授が提示する「高IQの人の特徴5つ」について知りました。

 


・落ち着きがなく頭の回転が速い
・大きい音が苦手、匂いに敏感
・想像力が強く、前夜見た夢に過剰に反応
・正義感が強く、疑問点などを追及する
・感情の幅が大きい、深く感情移入する


どれも私が想像もしていなかったような特徴ばかりでした。

高IQの人はもともと権威に縛られにくい。また、IQが高いほどより客観的に見る力が高い。どんなに偉い人が言ってることであっても、間違っていることは間違っているという考え方ができる。そして分析能力が高く、抽象度の高い思考ができる。

お猿さん軍団に邪魔されず、自分らしくいられる環境で、自分の好きなことだけをする、そんなライフスタイルを設計できたなら、満ち足りた気持ちで日々を生きることができると思う。

高IQの人は、可能性を探ることが上手だと思うので、きっと自力で困難を潜り抜ける力があるはず。だから、B君もきっと今頃、自分が活かせる方向へ歩んでいると思う。

 

多様性を重んじれば社会もより良くなる


全人口の上位2%ほどいる高IQの人が生きやすい世の中になれば、社会にとっても大きなベネフィットになるはず。

自分と相容れない相手のことを「バカ」と言う風潮が、インフルエンサーのそのような発言によって、増えてきたように感じる今日この頃。

こんな風潮にはウンザリしてしまう。

差別意識のある人はIQが低い傾向」というプリンストン大学の研究を目にしたことがあった。まさにコレだと思う。「誰かをバカって言った人がバカなんだよ」って小学生の間では常識だ。

IQが高くても低くても中ぐらいでも、分かり合えないことは往々にしてあるのが当たり前。全員を理解するなんて不可能なんだから。

それをっていること。
わからなくても他者の個性をうこと。
決して相手の才能をさないこと。
自分の才能をかす努力を惜しまないこと。

こういうことが常識としてまかり通っている社会になることを願っています。

 

人生を舐めてる人の未来像は

 

では、人生を舐めてる人はどうなのか(当人はそんな風には思ってもいないけれど)。

「嫌いなことはやらない」「いつも気持ちいい心でいたい」そんな思想で楽観的に生きてきた。一見、人生を舐めてるように見える人の未来は、とても良いものである、と言えると思います。

お猿さんだろうが高IQだろうが、自分が心地いいと思える環境を創り、好きなことだけをしていけば、どのみち結果オーライなのでは。

あなたはどう思いますか!?